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2019.03.13

「これも学習マンガだ!」著者インタビューシリーズ、今回は『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』の田中圭一先生です。新しいジャンルの作品に臨んだ経緯、「マンガ」と「笑い」への飽くなき追究の姿勢。現役の大学教員でもある田中先生に、さまざまな角度から「マンガ×学び」について伺いました。

『さよならもいわずに』の衝撃――『うつヌケ』執筆の原動力には強烈なマンガ読書体験が

――『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』は、2017年度の選書で「これも学習マンガだ!」に選ばせていたただきました。

多様性「うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち」これも学習マンガだ!

田中圭一先生:
(ハンドブックを見ながら)この200作のうち半分くらいは、まだ読んだことがないですね。
『男おいどん』はいったい何を学べるんでしょう…? 男の生き様ですかね? 不屈の魂的な…?

生活「男おいどん」これも学習マンガだ!


――(笑)。そうですね。あとは、現在の読者にとっては昭和の大学生の、下宿での四畳半生活みたいなものも知るきっかけにもなるかと思います。

 最近話題の『凪のお暇』(コナリミサト)という作品、あれを見た時、僕は「これ、女版『男おいどん』だ!」と思いました(笑)。

 ――確かに、近いものがあるかもしれません…。今日は後ほど、田中先生ご自身の「学んだマンガ」についてもお伺いできればと思っています。
まずは『うつヌケ』についてお聞きしたいんですが、この作品を執筆されたきっかけについて改めてお伺いできますか?「あとがき」でも少し触れられていますが…。

この作品を描いた理由は、2つあってですね。
まずは「あとがき」で書いたように、僕はたまたま出会った1冊の本によって、うつを脱出することができたんです。その本の内容が絶対的に正しいかはさておき、そこに書かれていた脱出方法が、自分には一番向いていた。
それで、僕は自分もマンガ家だということもあり、「今苦しんでいる人たちが、偶然出会う1冊」を自分でも描くことで、自分が本によって救われたことに対する恩返し…恩返しとは言わないな。いわば「恩送り」というか。そういうことをしたかったんです。それが1つ。

もう1つは…そのうつの最中に、上野顕太郎さんの『さよならもいわずに』というマンガを読みまして。

――上野先生が、自分の奥さんを突然亡くされた経験を描いた作品ですね。衝撃でした。

あの作品、すごく…自分がいかにつらくて悲しかったかを、もう、純度100%で読者に伝えてくるじゃないですか。あれって、ものすごいことなんですよね。
自分がいかに悲しい思いをしたかって、普通、どんなに一生懸命に語ってみせても、たぶん10%も伝わらないだろうと思うんです。聞いた人が、その人と同じようにつらい思いはしないですよね。
ところが『さよならもいわずに』は、もう読んでるうちに、ほぼ上野さんに「なっちゃう」んですよね。
この力は何だろう、マンガの「伝える力」ってすごいな、と思って。

そして、もちろんその力には圧倒されたんだけど…あとがきで、急に奥さんを亡くされて失意のどん底にある中でも、どこかで「これはおいしいぞ、マンガに描いて発表するべきだ」という…ある意味、いやらしいといえばいやらしいんだけど、そういう創作者魂みたいなものに突き動かされていた、と書かれていて。
それはそうだろうな、どん底の状況にある時に、ただどん底だーって叫ぶのはマンガ家じゃないよな、そこをどう作品として昇華させるかに作家としての才覚があらわれるんだろうな、と。

それで、自分がうつを抜けた時にも、うつのつらさを…特にうつを経験していない人に伝えたい、伝える力を試したい、みたいな思いがあったんです。

で、同時に…上野顕太郎さんって、基本、ギャグマンガ家じゃないですか。

――『夜は千の眼を持つ』シリーズなど、実験的なギャグマンガで印象深いマンガ家さんです。

僕が尊敬しているギャグマンガ家さんって、みんなギャグじゃない作品でもヒットを出してるんです。
村上たかしさん、いがらしみきおさん、古谷実さん…山上たつひこさんもそうですね。

生命と世界「星守る犬」これも学習マンガだ!

社会「羊の木」これも学習マンガだ!

それで、「本当に力があるギャグマンガ家は、シリアスな作品でもヒットが出せるはず。むしろ、それが出せないということは、ギャグマンガ家としても力がない」という…ボーダーラインみたいなものを、僕は自分の中で引いていたんですね。

僕は今まで、それでひとつも成功していなかった。これまでにもちょっとシリアスなものも描いてみていたけど、どうにも性に合っていなかったし、伝わっていなかったので…。

だから…これは後づけというか、描いている時には考えていなかったことだけど、『うつヌケ』がヒットして、正直ほっとしたんです。自分もギャグじゃないものでヒットが出せたことで、これまで尊敬してきたギャグマンガ家さんたちと、少しは並べたというか、お話ができるくらいのポジションには来れたかな、と。

自分を肯定すること、相手の気持ちを想像すること。悩める10代へ

――『うつヌケ』は、うつ経験のない読者もうつというものについて知るきっかけになる作品だということで、「これも学習マンガだ!」に選出しています。
いま改めて振り返ってみて、「うつ」というものについてどんなことを思われますか?

そうですね…これ、17人に取材しましたけど、読んでいただくとわかるように、同じような事例がないんですよ。見事にバラバラになったので、描きあがった時は「(エピソード同士が)似た感じにならなくて良かったですね」と担当さんと話していたんだけど…今にして思うと、それは、100人取材すれば100通りになるんだろうなと。

たとえば肺がんだったら、肺がんに必ず起こる症状というものがあるじゃないですか。
うつの場合は、自己否定みたいなものが、まず心を弱らせる。それを脳が察知する。そこから先に出てくる症状が、人によって違うんですよね。そこが身体の病気と違うところだと思います。

入口、きっかけもそうですよね。幼児期に虐待を受けた経験から来る人もいれば、職場でのストレスからなる人もいる。(うつを引き起こす)要素にはいろんなものが、可能性としてなり得るだけに厄介なんだろうなと。

――虐待もそうですが、家庭や学校での体験から、子どもや10代の学生でもうつを発症する人も少なくないですよね。この事業は学校図書館に広く普及しているということもあり、『うつヌケ』も、生きづらい思いをしているお子さんや学生さんにも読まれる機会があると思います。そういった、子どもや10代の「生きづらさ」について、何かヒントになる事例があればお伺いしたいのですが。

この本では私や担当さんの知人を通じてインタビュイーを探したという経緯もあって、お子さんや学生さんに取材することはできませんでしたが…読んでいただくと、10代の人も、自分に近い例が見つかるんじゃないかと思います。無理して頑張ってしまったり、自分を誤魔化して心にフタをしてしまったりなんてことは、10代でも起こりますし…。
そういうところでやっぱり大事なのは、まず自分を肯定してあげるということかなと。万人に効果があるかはわからないけど、ひとつの道標にはなるかと思います。

それから、特に若いと、人間関係を上手くやれないという悩みも多いですよね。

大学で学生と接していて感じるのは…うつもそうですけど、人の気持ちを察するのが苦手だという、いわゆる発達障害的な性質についても、やっぱり明確な線引きがあるわけじゃなくて、グラデーションになってるんだなと思います。

特にマンガを学びに来る学生さんって、「人とのコミュニケーションがうまくできないから、ひとりで自分の世界を構築したい」みたいなタイプも、わりと多くて。

でも、商業マンガ家、プロのマンガ家としてやっていく…それでなくても、多くの人に支持されるマンガを描こうと思うなら、目の前にいる相手がどんな気持ちなのかということを常に気にする姿勢がないと、やっぱりうまくはいかないと思います。

僕自身も、一般企業の営業職だった20代前半の頃に、上司から「お前、なんでそこでそんなこと言っちゃうの?」とか、「なんでそんな、相手が傷つくようなことするの?」とか言われて、キョトンとしていたことがあったんです。

でも、やっぱり営業職として日々いろんな人と会って、いろんなトラブルを起こしながら学んでいったんですよね。「ああ、このタイミングでこういうことを言うと、こういうトラブルになるんだ」とか。

人間関係で壁にあたった時…僕の場合はそうやって、上司の助言も得て、自分なりに実践から学んでいったところがあります。そういう、人の気持ちを理解するスキルみたいなことは少し、意識するといいのかなと。

――「生きづらさ」に対して自分でできる対策の一つになりますね。マンガを読むこと自体も、「異なる立場の人の気持ちを理解する」練習の一端になりそうです。

ビジュアル、描線、想像の余地。マンガ表現の持つ「伝える力」

――マンガで「うつ」というものを、うつ経験のない人に伝えるために、意識して工夫されたところなどはありましたか?

僕が意識していたのは、ビジュアル面での工夫ですね。いろんなところに出てくる、「うつ」をキャラクター化したスライムみたいなヤツとか…。
あと、電子書籍版はフルカラーなので、そのシーンでの気分に合わせてカラーの彩度を変えています。うつが進行していく時は白黒に近くなって、抜けた時にパッと鮮やかになるように。
田中くんとカネコくんがいつも座っている、大草原の中のコタツというシチュエーションも、ビジュアル的に「あ、気持ちいい」と思ってもらえる風景として描いています。うつを抜けた人が到達する場所というイメージで捉えていたので。

 担当編集さんがずっと文芸をやってきた方だったから、インタビューからその回の“背骨”になる言葉を見つけ出すのがすごくうまかったんです。だから僕は逆に…さっきの『さよならもいわずに』の話じゃないけど、うつのつらさ、そこから抜けた時の開放感を、マンガならではの表現で伝えるということに注力していました。

 ――その、マンガに特有の「伝える力」って、具体的にはどんなところから来るんでしょう。
『さよならもいわずに』からは上野さんの悲しみが純度100%で伝わってくる、上野さんに「なってしまう」というお話がありましたが。

まず、これは小説とも共通ですが――「本」である、「静止画」であることから、読者が読む時間をコントロールできるということですよね。映像はどうしても、映像のほうにコントロールされてしまうから。その有用性があります。

次にやっぱり、個人の作家によるビジュアル表現だからこそ、文章では伝えきれないものが伝わるというところがありますよね。
たとえば山本直樹さんのマンガなんかは、あの細くて均質な線で世界全体を描くことによって、現実から一歩退いた感じ、夢の中をさまようようなイメージを読者に与える効果があったりする。

社会「レッド」これも学習マンガだ!

描線によって、読者が与えられるイメージってずいぶん変わります。70年代のスポ根マンガなんて、抑揚のあるぶっとい線で描かれているじゃないですか。あの線だからこそ表現できる暑苦しさ、熱量ってありますよね。

あとは…いい具合に、想像する余地が残っているところですかね。

僕、怪談モノで一番怖くないのって、映像なんですよ。声があって、動きがあって、色があって、音楽がある…想像する隙間がないじゃないですか。次に怖くないのがマンガで、次が小説。一番怖いのは「語り」です。どんどん想像する領域が増えてくるから。

そういう意味で、やっぱり適度な想像の余地があるのがちょうどいいんですよね。特に、かわいいヒロインの声なんて、きっと読者それぞれが自分の好みの声を想像しているでしょうしね。

やっぱり全部が補われちゃうと、一歩踏み込んで作品に関わろうとした時に…関わりようがない、というふうになっちゃうのかなという気がするんですよ。

また例を出しますが…『海街diary』というマンガがあるじゃないですか。

――昨年完結した、吉田秋生先生の作品ですね。鎌倉を舞台にした四姉妹の物語です。

あの作品の1巻の最後で、ずっと気丈に頑張ってきた四女が感極まって泣くシーンがありますが、このシーンには一切、“音”が描かれていない。

あれは、泣いているシーンであえて“音”を消すことで、その泣き声を含めて、読者に状況を想像してもらおうという意図があるわけですよね。

想像する、脳みそを使うことを読者に強いることによって、距離を詰めるというか…ただ受動的に娯楽を見ているだけじゃなくて、一歩「参画させる」みたいな。

――受け手側が、より能動的に作品に携われるということですね。それが『さよならもいわずに』の、作者(主人公)に「なる」体験にもつながるということでしょうか。

そうですね。マンガにはやっぱり、そういう作用があるんだろうなと思います。

次回作は「笑いのロジック」マンガ? 田中先生の「マンガで学ぶ」体験

――最後に、田中先生ご自身が、「学び」を得られたマンガについてお聞きしたいのですが。

これは学んだというか、僕の周りの友達もみんな言ってることだけど…「少年ジャンプ」には騙されたよな!と(笑)。

――(笑)。

死力を尽くして戦ったライバルとの間に、最後に友情が芽生える…みたいな。社会人になってやってみたら、全然芽生えないよ! 二度と口きかなくなっちゃうよ!って。それは、フィクションと現実は違うってことを学んだ経験ですが…それはさておきですね(笑)。

うーん、やっぱり『ナニワ金融道』とか、『ドラゴン桜』なんかは、自分が全然知らない世界を覗き見ることによって、知識の幅が広がるっていうのはありますよね。

社会「ナニワ金融道」これも学習マンガだ!

科学・学習「ドラゴン桜」これも学習マンガだ!

ただ、それを実生活に役立てられるかというところだと、どうしてもマンガ家として、そのマンガがどうして面白いのかを紐解いて、そのテクニックを使ってみよう…みたいになっちゃうかな。

――「これも学習マンガだ!」では、知らない世界や価値観に触れることも広い意味での「学び」と捉えています。そういう意味で「生命と世界」「多様性」といったジャンルがあったりもするのですが。

なるほど。そういうことだと、最近、好きなマンガが2つありまして。
『金剛寺さんは面倒臭い』(とよ田みのる)と、『事情を知らない転校生がグイグイくる。』(川村拓)。

――『金剛寺さん~』は、「このマンガがすごい!2019」で2位にランクインした作品ですね。
『事情を知らない~』はすごいタイトルですが…。

これは、どちらも共通のテーマ…テーマというのかな。とにかく、「好きな人に対して、曇りなくまっすぐな想いをぶつける」みたいなことを描いている作品なんですが…そういうキャラクターを読む、接することで、「“好きなものは好き”っていう気持ちをまっすぐに向けることって、なんて気持ちがいいんだろう」と思います。

「あなたが僕を嫌おうが、遠くに行こうが、僕はあなたが好きなんです」っていう気持ちの潔さ、爽やかさというか。「好き」という感情って、妙に猥雑化するというか…歪みを持っちゃうことが多いですよね。つまらない駆け引きをしようとしたり、プライドが邪魔したり。そういうものの無意味さを感じることができるマンガですね。

あとは、やっぱり僕は、ギャグマンガが大好きだったんですよね。それでギャグマンガ家になったんですけど。

――先ほども名前が挙がった、山上たつひこ先生とか。

…に限らず、物心ついてからずっと、その時々のギャグマンガが好きで読んでましたね。
小学校中学年くらいで『天才バカボン』、高学年で山上たつひこさん、中学生の時に江口寿史さん、鴨川つばめさん。高校生になるといしいひさいちさん、社会人になってからは吉田戦車さん。
人を笑わせられるのってすごくいいことだな、面白いヤツになりたいっていう気持ちになったのは、そういうギャグマンガとか…お笑い番組とかの影響が大きいです。

僕は小学4年生の時に埼玉から大阪の枚方に引っ越して、関西の笑いにカルチャーショックを受けたんですよね。子どもたちもボケとツッコミの間のとり方を、すごく自然に学習していて。
大阪で上手いヤツは、笑わせようという意図を全く感じさせずに、ポツッとボケてワーッと笑いをとるんですよ。「なるほど、このギャップがあるからこんなに笑えるんだ」と。関東では、「さあ、笑わせるぞ」っていう姿勢から入っちゃうから。
そういう、笑いの技術、ロジックみたいなことを子どもの頃から中学、高校…と、僕はずっと観察して、分析してました。

…今思ったけど、そういう「笑わせる技術」を解説したマンガって、そういえばないですね。

――確かに、見たことがないです。

僕が「ギャグマンガコース」の教員として大学に呼ばれた時、最初は「ギャグって教えられるものなんですか?」なんてことも言われましたけど、ギャグにはギャグでロジックがちゃんとありますから。
それに、「笑わせる技術」を知りたい人って、結構いるじゃないですか。いわゆる自己啓発書なんかでも「ユーモアセンスを身につけましょう」みたいなことが書かれていたりするし…。

ああ、これはマンガにしてみるといいかもしれないな。ただ、そのマンガが面白くなかったら目も当てられないけど(笑)。

――新作の構想につながった…? 新しい「学習マンガ」がまたひとつ生まれるかもしれませんね。一読者として、ぜひ読んでみたいです! 今日はありがとうございました。

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【プロフィール】

田中圭一(たなか・けいいち) マンガ家
1962年生まれ。1984年、『ミスターカワード』でデビュー。手塚治虫など、著名作家の絵柄をコピーしてギャグマンガを描くパロディ作家として人気を博す。一般企業等に勤務しながら商業作家として活動する「二足のわらじマンガ家」としても知られる。2014年『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』が大きな話題に。京都精華大学マンガ学部マンガ学科 新世代マンガコース/ギャグマンガコースにて専任准教授も務める。最新刊として、国民的ヒット作の開発秘話を取材してマンガにした『若ゲのいたり ゲームクリエイターの青春』を2019年3月28日に発売。