Ⓒ 村上竹尾 / 双葉社
生きることの底の底にある感覚
生死の境を彷徨い、「生き返った」作者による体験ルポ
不摂生からトイレの中で突然倒れ、生死の境をさまよって、文字通り「死んだ」=心肺停止状態から持ち直した男性(=作者)。しかし意識は戻っても身体は動かせず、知覚も戻らず、脳浮腫による意識の混乱と実に奇妙な知覚の状態から、長い時間をかけて徐々に回復していった生命と知覚の記録。人の顔から眼や口が逃げ出す。四角いものならば大きさにかかわらず同じに見える。たとえば、アイフォンと冷蔵庫が同じに見えるといった症状。また、文字も読めず、話されている言葉も理解できない状態なのに、それが温かい言葉か冷たい言葉かだけは、ふだんの数十倍ダイレクトに伝わってくる、というのも興味深い。人間が「生きる」ということの底の底にある感覚を深く考えさせてくれる本。と同時に、この知覚の表現はマンガでなければできない、と思わせられる。
推薦コメント
不摂生からトイレの中で突然倒れ、生死の境をさまよって、文字通り「死んだ」=心肺停止状態から持ち直した男性(=作者)。しかし意識は戻っても身体は動かせず、知覚も戻らず、脳浮腫による意識の混乱と実に奇妙な知覚の状態から、長い時間をかけて徐々に回復していった生命と知覚の記録。人の顔から眼や口が逃げ出す。四角いものならば大きさにかかわらず同じに見える。たとえば、アイフォンと冷蔵庫が同じに見えるといった症状。また、文字も読めず、話されている言葉も理解できない状態なのに、それが温かい言葉か冷たい言葉かだけは、ふだんの数十倍ダイレクトに伝わってくる、というのも興味深い。人間が「生きる」ということの底の底にある感覚を深く考えさせてくれる本。と同時に、この知覚の表現はマンガでなければできない、と思わせられる。
藤本 由香里(明治大学 国際日本学部教授)