©上田としこ/小学館
中国が見知らぬ異国だった頃…
みんなが大好きだった!ハルピンの少女フイチンの愉快な日常
少女クラブで1957年1月から1962年3月まで連載されていた「フイチンさん」を私はリアルタイムで読んでいた。当時の日本の少女にとって日本軍とか戦争とか、日中関係(まだ国交回復していなかった)がどうかとか…は、まったく理解できないしピンとこなかった。そういう「歴史とか国際情勢」に関わりなく、フイチンさんはハルピンの街で元気に暮らしていた。読者の少女はそこに描かれている見知らぬ国の習慣と生活に興味をもち、働く少女フイチンと年下のおぼっちゃまとのやりとりに親しみ、作品で紹介される中国語を毎月楽しみにしていた。 今思えば、かの地で日本人として壮絶な体験をしたであろう作者の生み出した「現地物」なのに、暗さのかけらもなく見事なキャラクター性で読ませるお手本のような作品だ。余談だが、上田トシコ先生とは数え切れないほどお話をする機会に恵まれたが、実にきっぱりと潔くて、そして気取らない優しい先生だった。フイチンさんをうんと美人にして宝塚の男役にしたようなかっこいい人だった。
推薦コメント
少女クラブで1957年1月から1962年3月まで連載されていた「フイチンさん」を私はリアルタイムで読んでいた。当時の日本の少女にとって日本軍とか戦争とか、日中関係(まだ国交回復していなかった)がどうかとか…は、まったく理解できないしピンとこなかった。そういう「歴史とか国際情勢」に関わりなく、フイチンさんはハルピンの街で元気に暮らしていた。読者の少女はそこに描かれている見知らぬ国の習慣と生活に興味をもち、働く少女フイチンと年下のおぼっちゃまとのやりとりに親しみ、作品で紹介される中国語を毎月楽しみにしていた。 今思えば、かの地で日本人として壮絶な体験をしたであろう作者の生み出した「現地物」なのに、暗さのかけらもなく見事なキャラクター性で読ませるお手本のような作品だ。余談だが、上田トシコ先生とは数え切れないほどお話をする機会に恵まれたが、実にきっぱりと潔くて、そして気取らない優しい先生だった。フイチンさんをうんと美人にして宝塚の男役にしたようなかっこいい人だった。
里中 満智子(マンガ家 / マンガジャパン代表)